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2004年 08月 02日
部活動に精を出したり、仲間たちとバカやって遊んだり。そんな楽しみを転校で一切失ってしまった私の拠り所になったものは音楽だった。
私と音楽のつきあいはどうやらこの世に生まれて来る前から始まっていたらしい。洋画ファンの母親は幼少の頃に童謡歌手だったという経歴を持っていて、そんな彼女がかける映画音楽や唱歌のレコードを私も胎内に居る間ずっと聴かされていたというのだ。 その結果なのか何なのか、幼稚園で担任に「絶対音感」を指摘された。先生の弾く「ひなまつり」の伴奏を聴いただけでコピーし、教室にあったオルガンで弾いて見せたらしい。それからピアノ教室に通いはじめ、地元の合唱団や小学校の吹奏楽部にも入り、とにかく音と共に育った。中学生になってからは部活こそ運動系に入ったものの、トレーニング中に聴くBGMに人一倍こだわったり、やっぱり私の生活に音楽が欠けることはなかった。 そんな私はこの島に来て間もなく、大げさな言い方をすればその後の人生を左右したのかもしれないテレビ番組に出会ってしまう。 「MTV」という、アメリカの音楽番組がそれだった。 当時はまだ日本(本土)でこれを見られるチャンスはなかった。地上波で、しかも字幕のないまま堂々とオンエアされていたのは、やっぱりここが沖縄だったからだと思う。小学校高学年頃から「ベストヒットUSA」を見始めて洋楽の事も大好きだった私は、あっという間にこの番組の虜になった。 当時の沖縄で音楽中心の生活をするという事は、アメリカで暮らすも同然の事だった。ラジオ番組で日本のヒット曲なんて殆ど流れない。かといって民謡もまだ今のように若い世代にも受け入れられている音楽ではなかった。ドライブ中に目にする風景は英語で書かれた看板が殆ど。まだそんな時代だったこの島には、やっぱりロックやポップスが一番似合っていた。 私自身は小さい頃からアイドルも大好きだったけど、不思議なことにその辺りの情熱はこっちへ来て急に醒めてしまった。あんなに好きだったシブがき隊や聖子ちゃんが、マドンナに比べるとすっかりどうでもいい人達になってしまっていた。 10代の女子にとっては必須のメイクやファッションに関する情報も、当時の日本人女子中高生の多くが「MCシスター」や「オリーブ」「ノンノ」などから得ていたにも関わらず、私はアメリカ産のミュージックビデオの中から吸収した。DCブランドなんかには全然興味が沸かなかった。観る映画もアイドル主演の邦画ではなく、サウンドトラックのヒットしたハリウッド映画がメインだった。読破した書籍もそういった洋画の原作が中心。翻訳本が見つからない時は、辞書を片手にペーパーバッグをそのまま読んだ。日本では未発売のレコードやビデオを求めて、基地のカーニバル(必ずフリーマーケットも催されていた)にも親に頼んでよく連れて行ってもらった。 退屈しのぎだった音楽が、いつしか生活の中心になっていた。 人の10代にはよくある現象だという。 「ファッションヴィクティム」というコトバが欧米にはあるけど、あの頃の私は確実に「ミュージックヴィクティム」だった。 関係ないけどカルチャークラブの「Victims」は名曲中の名曲だと思う。 ビデオの中のボーイ・ジョージのキスシーンに当時、本気でジェラシったのも、今となっては懐かしい思い出である。
by akkoBPoki
| 2004-08-02 23:59
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